始発電車に乗って、栃木県へ日帰り旅行へ行ってきました。
環境問題を語る上で欠かせない、『足尾銅山鉱毒事件』。
その一部始終を、垣間見た気持ちでいっぱいです。
この日は、大晦日に降った雪がまだ積もった状態で、
普段よりも、雪化粧でキレイに見えるかもしれません。
普段の状態は、想像してみてください。
全て、書き記せるか分からないくらいです。
質問等あれば、メールなり掲示板に書き込むなりして下さい。
分かる限り、答えます。
また、画像をクリックすると、大きな画像が開くようになってます。
小さい画像だと分からないと思うので、大きくして見て下さい。

足尾銅山周辺を見学するのに、駐車場は用意されています。
大型バスも入れそうな広い駐車場です。

展望台から見た景色です。
雪がかぶっていて見えにくいですが、
ほとんど、樹が生えていないのが分かりますか?


これは、同じ展望台からの景色で、180度反対側です。
見渡す限り、ほとんどハゲ山です。


どんな荒れた大地でも、雪は覆い隠します。
新年早々なのもあって、誰の足跡もついていません。


風に吹かれた雪が凍って、結晶のようにキラキラ光っています。
真っ青な空に、眩しい太陽、下からは反射光で、普段より明るい世界にいるようです。


お!足跡発見!!
たぬきかきつねか。
草が生えているので、中型動物は意外と生息しているようです。


この日、朝の最低気温はマイナス3度。
見たこともないような太くて長いツララ発見!!
ツララっておいしいんですよね♪
でも、ここのツララは食べたくないなぁ(*-゛-)


植林作業もしています。
土が流れないように、土留をして、
生えた草木が鹿に食べられないように、ネットが張り巡らされています。


観光地から、山すそに隠れて見えない斜面に、黒い斜面がありました。
「スラグ」の廃棄場です。
銅を精錬するときに、不純物を取り除くため、石灰石のようなアルカリ性の融剤を人工的に加えます。
その融剤と不純物が化合してできるのが「スラグ」です。


何に使えるわけでもない、そのただの「ゴミ」は、行き場なく、こうして人の目を避けて、見えない斜面へと運ばれ、そして何万トンものスラグが山へ捨てられたんです。
銅の精錬工場から吐き出された亜硫酸ガスによって、山は木々を失い、そのため、雨が降るたびに土壌は流され、今ではただの岩山です。
雪が被ってて分かりづらいかもしれないけど。


荒地でも育ってます。
ヤシャブシといいます。
この植物は結構あちこちに見られました。
個体数はわずかですが。



もっと奥へ進むと、スラグがさらに大量に廃棄されてました。
スラグが捨てられている斜面は木々どころか、草一本生えておらず、絶えず落石がありました。
近寄ったら危険な崖まちがいないしです。


スラグってこういうもの。
見た目は黒光りしているジャリ。
これがある場所は植物は育たないんですね。


かつては、村がありました。
人間が住めない土地になってしまったので、止む無く住民は移住していったのですね。
先祖のお墓だけがポツンと残されていました。


入り口にある案内マップです。
白っぽところが、全て草木が生えなくなった汚染地域です。
右上に見えるのは、関東地区の小学生が修学旅行で行く「中禅寺湖」。



←分かりやすいように、尾根線に色つけてみました。
にぎやかな観光地のすぐ尾根裏には、かつての大環境破壊地域が生生しく残っています。
こういう場所こそ、子供たちに知って欲しいと思います。
教訓として、ね。


これが、問題の精錬工場です。
廃墟となって、今でも残っています。
右奥に見えるエントツ。
当時はこれが何本も立ち並び、そこから有害の鉱毒が吐き出されていたんですね。


ここまでが足尾銅山の見学紹介でした。
温暖化、熱帯雨林破壊、オゾン層破壊・・・・
いろいろな環境問題が取り立たされる中で、日本人が当時起こした、最大級の環境破壊。
「足尾銅山」がどういうもので、どんな被害があったかを知ってもらいたいのと、過去の過ちは教訓として、では、破壊してしまった土地を、人間はこれからどうしていくべきなのかを考えなくちゃいけないと思います。
よく、人が訪れる場所は、まだ植林するなどして復旧しようと頑張っています。
そのおかげで、100年ほどが経過した今、ようやく木々が戻りだした状態です。
何を植えてもいいんだったら、まだ簡単かもしれません。でも、荒地に強い外国産のものを植林したのでは、新たな環境破壊が生まれます。
そうではなく、もともと足尾の山々に生えていた植物を戻していく努力が必要なんです。
見える場所だけでなく、見えない場所も。
私が生きている間には、戻らないとは思いますが、子供世代、または孫世代のころには、緑豊かな足尾に戻っていることを願っています。

足尾から流れ出る鉱毒が、東京へ流れ出ないように、田中正造氏が当時、ここに存在していた谷中村(やなかむら)を鉱毒から守るために奮闘しましたが、国は村民を強引に立ち退かせ、群馬県・栃木県・茨城県にまたがる広大な「渡良瀬遊水地」を作り、同時に反対運動をしていた谷中村の村民たちを遠ざけました。

日本かと思うほどの地平線が見えそうなくらい広大な遊水地。
ここは湿地帯で草原となり、多くの野鳥が生息しています。
たくさん生えているアシ原の根で押えられてはいますが、この下にはまだ重金属が眠っています。


かなり遠くなので、識別は微妙ですが、猛禽類の一種。
「ハイイロチュウヒの雌」か、「チュウヒの雌」。
草原を好む猛禽類なんです。



地平線の向こうに輝く夕焼けは格別の美しさがありました。
広大な土地。
どこまでも続く草原。


足尾銅山鉱毒事件がおきなければ、ここにはもともと村があって、人が住んでいたんです。
先祖伝来の豊かな土地が、こんな姿になってしまった人々の無念を思うと、胸が張り裂ける思いです。
足尾銅山と渡良瀬遊水地。
子孫へと伝えていかなくてはいけない、明治時代の大きな環境破壊の事実です。



正直、教科書では知っているけど、実際の現状がどうなのか、まったく知りませんでした。
案内をしてくれた友人が、熱く語ってくれました。
ぜひ、みなさんにも足尾銅山⇒渡良瀬遊水地のコースで見学に行ってもらいたいです。
いつか、私が案内できたら・・・と思います。

足尾銅山、渡良瀬遊水地(栃木県)